Taro Iwata -profile-

1976年 8月27日 東京生まれ大磯育ち。B型 乙女座 小学生で、お祭りのお囃子で太鼓をたたき始め、褒められて調子に乗る。     大磯小学校合唱団にて全国一位になるが、そのスパルタ教育から西洋音楽嫌いスタート     尾崎豊を聞きまくった中学二年。失恋するも太鼓は続ける。      洋楽を聴き始めDOORSにはまる。 相洋高校和太鼓部で本格的な組太鼓を習い、さらに褒められ有頂天になる。     この頃BAD RELIGIONを聞きまくりさらに反骨精神を養う。
1995年 卒業後、故,田耕(でんたがやす)氏 に師事し、自分の駄目さを痛感。叩き落される。     がB型特有のポジティブさで別の道を志す。韓国音楽サムルノリを聴きまくる。
1997年 島根県で石見神楽(いわみかぐら)を研究。 韓国にてチャンゴ等のリズムを勉強。     (一人暮らしの寂しさからか中島みゆきを愛聴)     この辺から、現代和太鼓に見切りをつける。
1998年 R.E.M熱聴。地元で神和座(かんなぎざ)を結成。メンハ゛ーに支えられ、奇跡的に継続中。     熱愛発覚
2000年 ソロでの和太鼓を中心とした演奏活動も始めてみる。     一人でやることの大変さと快感を知る。     ナインインチネイルス゛に勇気をもらう。
2001年 民謡の太鼓を美波英輔に師事。民謡を聴きまくり駄曲の多さに圧倒される     3年後名取を薦められるも、名取料(その他諸経費)の高さに断念。
2002年 若林忠宏氏に師事。タブラ、ダラブッカを習い、さらに日本の和太鼓の底の浅さを痛感      アフガニスタン音楽に衝撃を受ける。(アンサンフ゛ルカフ゛ール)
2003年 相方「こじま あや」の声に一目惚れし「カチネコ」活動開始。     奄美の八月踊り、唄も「朝崎郁恵」先生のもと、十五夜会で勉強中。
2004年 ついに人生の夢を発見し「湘南打樂研究所」発足。     ハードフォークユニット「うずまき」参加。     ごった煮バンド「アルジャブラ」参加、愛すべき馬鹿どもと楽しくライブ展開。     首手術     サラリーマンになる。     スウェーデン音楽(ラーナリム、ウ゛ェーセン等)にはまる
2005年 民族楽器奏者 黒澤邦彦氏と出会う。     バロック以前の古楽演奏に参加。     トルコ弦楽器集団「sazooz」にダラブッカでゲスト。 唯一の友 他界。 録音を一年の目標にするも失敗。ライブ好きを自覚(40回/年)      逗子開成高校に和太鼓講師として着任。
2006年 つわもの揃いのユニットMundoMusicoのレコーディング参加 (@パイオニア)     アルジャブラ レコーディング     30歳になり 平塚へ引越し      丙-hinoe-プロジェクト始動 ライブ 30回/年
2007年 ホームページをリニューアル     和太鼓曲を5曲作成     湘南打樂研究所の活動が活発になる     とても平和でおだやかな一年。
2008年      打楽曲「戊(つちのえ)作成     かんなぎ座曲「犬走り」「山神」作成     かんなぎ座として母校相洋高校と競演     結婚     六時間耐久和太鼓リレー開催
2009年      第一回湘南打楽研鑽会開催(夢の実現)     打楽曲「己(つちのと)」作成      創作和太鼓集団「衆」自主公演にゲストで演奏(湘南打楽研究所)     念願のお囃子作成「小峰ばやし」     相洋高校和太鼓部20周年公演「鼓動20th」実行委員に就任     第一子誕生     
その他の話

座右の銘  「正射正中」 座右の名曲 「When the Music's over/THE DOORS」 座右の名著 「一握の砂」(石川啄木) 座右の名画 「マトリックス」 尊敬する人 「大久保 利通」
すきなもの 「あらゆる猫、なめらか杏仁豆腐、音楽を聞くこと、音楽を演奏すると、        雨のドライブ、夕立に右往左往すること、彼女とデート、さっぱりした人、        あらゆるペンギン、ごま油、ポニーテール、メガネ        ノギス、活字、涙の後の笑顔、塩、黄色い花、        お昼は広東麺、すれ違った時の香水の香り、豆乳鍋、毛布、鳥のからあげ、機能美」
嫌いなもの 「しいたけ、虫、スネアドラム、えらそうな人、コッテリ系、冷房        ボーリング、カラオケ、¥100shop、スプーン、笑ってごまかすこと、        ユーミン、山達、鼓童、大学生、ゆず、前下がりの椅子        掃除機の音、和田アキコ、みのもんた 等」
太鼓といわしの細かな話は 太鼓少年いわしの目をご覧ください。
インタビュー記事 インタビュー   岩田太郎さん 28歳・サラリーマン 兼 和太鼓奏1976年、東京都世田谷区で生まれる。父親(カメラマン)、母(専業主婦)、4歳上の姉の4人家族。小学校入学の年に神奈川県大磯町に転居し、町立の小・中学校に通う。小学校時代、町のお祭で近所の子がみんな参加するお囃子に出たのがきっかけで太鼓と出会い、以後お囃子は毎年参加していた。神奈川県小田原市にある私立相洋高校へ進学。和太鼓部に入部し、部活のために学校へ通うような日々を送る中、太鼓を学べる大学に行きたい、と考えるようになる。しかし音大への入学には、打楽器専攻でも、西洋音楽の知識やピアノの技術が必要だった。そこで、それならば、とプロの太鼓集団に入ることを決意し、鬼太鼓座というプロ集団に入団を決める。そこでプロとして全国各地を回って公演をする日々を続ける。しかし自分の目指す太鼓との違和感を覚えるようになり、2年ほどで退団。自分のやりたい太鼓の形を求めて、以前の公演で出会った石見神楽(いわみかぐら)を学びに単身で島根へ飛んだ。しかし、学んでいくうちに石見神楽の土着性の強さを知り、神楽を極められるのはこの土地の人だけだと悟るようになる。そのため、基礎を習得した後は実家のある神奈川県大磯町へ戻る。姉は結婚して実家を出ており、現在は両親と3人で暮らす。しかし、両親共に体調が思わしくなく、入退院も多いそうだ。大磯に戻ってから現在まで、コンピューター関係の会社で、派遣社員として働いている。もちろん太鼓は続けており、仕事以外の時間は専ら音楽活動にあてる、という生活を送っている。その間に『神和座(かんなぎざ)』『カチネコ』等々、計9個ほどのアマチュア演奏グループのメンバーとなり、神奈川県内を中心に多彩な演奏活動を繰り広げる一方、太鼓教室の先生(小学校教師・障害者を指導)、ローカルFM局でのDJとしても活動。さらに、インド音楽、アラブ音楽、韓国音楽を学ぶなど、インプットも怠らない。最近、正社員になることを決めた。会社から打診が来たからである。20代のうちにやろうと思っていたことは大体できた、という今の段階での打診だったので、そういう意味で予定通りの転機ではある一方、これは当然、体調の思わしくない両親や、結婚を考えている彼女のことを考えての決断でもある。節目の時期である。次の10年は、忙しい仕事をうまくやりくりしながら、太鼓のソロ演奏のCDを制作することを目標に掲げる。太鼓を民族芸能から民族音楽へ、つまり見るものではなく純粋に聴くものとして確立させたい、という想いがそこにはある。  インタビュアー 稲葉惇子・高柳圭吾 ↑↑もっと詳しく知りたい人は↑↑こちらをクリック!
あ このページのものを使いたいという人がもし仮に万が一 いたとしたらいちおうメール下さいね。 あと 不適切な言葉や変な所は直しませんが教えてください。



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